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執筆者の写真英真研 ESK

なぜ今記述なのか

こんにちは。ESKの植田です。


最近、英語の問題の記号化が流行っているように思います。数年前から奈良県の公立高校入試も記号問題ばかりになってしまいました。


公平・公正な試験でありたいと願う中で、記号問題というのはかくも都合がいいのでしょう。マルとバツがこれだけはっきりしているのですから。




しかし、だからといって

「試験は記号問題ばかりだから記号問題の練習をしよう」

などというのは本末転倒ではないかと私は考えています。

その理由の1つとしては

「選択肢の中から探す癖がついてしまう」ということがあります。



記述問題の解き方について考えましょう。記述問題を解く際には、例えば下線部の指示語の内容を書くような問題であれば、


①下線部が含まれている箇所を前後も含めよく読む。

②おおよその解答を脳内で作成する(ほぼ抜き出しに近い)

③解答の要素を吟味する


だいたいこんな流れでしょうか。

私としてはこの中の②「おおよその解答を脳内で作成する」の部分がとても大事だと思っています。選択肢が与えられると、とりあえずその中から選べるけど、自分で考えるとなるとさっぱり。みたいな子が増えているようにも思います。



記号問題は「記述問題の解答として正しいものを選ぶ」という作業であると考えると、脳内で作成した解答が正しければその段階ですぐに解答が選べるものだと思っています。

逆にその思考であるからこそ、やりなおしをする際や、解説を読むときにも効果があるのです。解説に「○○行目に~と書いてあるため」と書いてあるのを読んで、「確かに~」となっているようではだめです。

なぜ、それが解答として正しいのか、他の選択肢はどの要素が違うのか、自分が考えた解答は正しい選択肢の要素すべてを含んでいるか...

など、見るところはたくさんあるはずです。



英語だけでなく、その他の科目でも同じで、まずは記述問題だと思って、自分であれこれ考えたり、自分なりの解答を作ったりすることが大事ではないかと思っています。

私立大学しか受けない、共通テストでしか使わないとはいえ、最初から記号ばかりで練習すると痛い目を見るかもしれません。形式練習は直前に。



p.s.私は記号問題は個人的に好きではありません。記述問題の方が自由に言葉を使えて、部分点を狙えるためです。英検やTOEICのような記号ばかり...ちょっと...

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